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会議は全員出席が絶対条件
職場での「遅刻」については色々な考え方があります。「ルーズだ」と顔をしかめる人もいれば、「仕事ができればいい」と寛大な人もいます。
この辺りは企業風土と言うしかありませんが、「遅刻に対する考え方」には個人個人で差異があっても、「時間」は万人に共通しているのです。
つまり、「10時から会議」と言われたら「10時」という時間については万人が同じ認識を持っています。対して、「この位なら遅れてもいい」というのは個人の考え方なのであって、万人に共通するわけではないということです。
特に会議というのは全員の意見を集約、そして方向性を全員で決める場です。「全員で」と言うところが重要なポイントであり、「全員が集まる」ことが絶対条件なのです。
会議の遅れは「出席者数×時給」の損失
基本的に「遅刻=悪い」という認識が日本人にはあります。「時間通りが良いこと」という社会の教育によるものとあります。ならばなぜ会社の会議に遅れる人が多いのでしょうか?
それは「急な電話があって」「○○さんに呼ばれて」と仕事には“仕方がない”と思わせる理由があるのです。その理由が曲解されて「会議に多少遅れるのは仕方がない」という考え方になってしまうのです。
しかし一般的な社員教育の1つに
「10人で始める会議に10分遅刻したら会社として100分の損失」
という言葉があります。この考えについて某Webサイトである人が「会社として10分の損失が正しいのではないか」と意見していました。この認識は大いに間違っています。
なぜならば会社は社員に決まった時間(例えば8時間)に会社にいてもらうことに給料を支払っているのではなく、時間に見合う成果に対して給料を払っているのです。
社員1人あたりの時給を5,000円として、10人出席する1時間の会議の価値はお金にすると50,000円ということになります。
10分遅刻して会議が10分無駄になった場合、Aさんの考え方では10分の損失と考えているようですが、この会議の価値は1時間50,000円相当なので、全体の損失は50,000円の10分相当にあたる約8,333円になるのです。
遅刻をしてもいい会議は「無駄な会議」といえる
会議とは突然やろうと思ってできるわけではありません。主催の人が各出席者に連絡し、日程調整し、会議室をおさえるなど、事前の準備をしたうえで開催されます。そして議題の価値を吟味し、開催時間の長さを算出するのです。
10人の出席者(時給5,000円)の1時間の会議の価値は50,000円です。そのうち1人が10分遅刻すると前述した通り、会議の価値は約41,667円(-8,333円)になります。遅刻した人は会議の価値を軽視したあまり、自分の時給ではまかなえないほどの損失を出したのです。
遅刻については“仕方がない理由”があったのかもしれませんが、他の人に迷惑をかけてもいいていどには会議の価値を軽んじていたとも言えます。それならばいっそのこと「無駄な会議」と割り切って事前に欠席連絡をすることも大事です。
その場合会議の価値は9人で1時間なので45,000円。1人が遅刻した以上の価値があります。遅刻することで返って他人に迷惑をかけているということです。
会議にもっとも適した曜日・時間帯とは?
会議の主催者は会議の開始時間の設定に注意することで遅刻が減ります。遅刻の理由は前述通り“仕方ない”という仕事です。そのためそのような“仕方ない”仕事が入りにくい時間に会議を設定すると出席者の遅刻を大幅に防ぐことができます。
ある調査によると会議開催に適しているのは火曜日もしくは水曜日の午前中、伝達事項や確認事項が多い月曜日の朝は最もよくないそうです。
ただし、「朝は忙しいから」と言ってランチに近い時間に会議を設定してしまうと、空腹や昼休みに気をとられ、参加者の集中力が欠けてしまい、会議の効率を著しく落ちてしまいます。また、昼休み明けも、血糖値が変化するために、生産性向上に寄与しない時間帯です。
会議も仕事として考えると時間を守るには優先順位をきちんと判断できる必要があります。その判断が一番できるのが火曜日の朝と言われています。
水曜日は月曜日に始めた仕事の進捗確認等が入る可能性が高いので、火曜日朝に開く会議は遅刻者が少ないと考えられます。
遅刻は迷惑以外の何者でもない。認識を改めるべし!
企業によってさまざまな文化があると思いますが、やはり遅刻については「迷惑」であり、「いい加減」であるという悪い印象を与えるものだということを、改めて認識する必要があります。そのために一番早いのは職位が上の人ほど時間を守ると言うことです。
職位が上の人ほど「仕方がない」仕事が増えるものですが、それに優先順位をつけて会議の開催を決める必要があります。「自分は遅れるから先にやっていて欲しい」という指示を出す会議は形骸化している恐れがあり、本当に必要か見直す必要があるでしょう。
(文/高橋亮)