僕は猫を飼っているので、消耗品の買い足しのため、ペットショップに行くことが多い。
ペットショップには飼育用品だけでなく、子犬、子猫に熱帯魚などの生体も陳列されている。往々にして1頭数万円から数十万円するものばかり。
血統書がついていたり、誕生日が分かるのは、消費者にとっては嬉しいものかもしれない。
ただ、一方でわざわざこんなに高いお金を出さずとも、ペットを家族の一員として迎え入れる方法なんかいくらでもある。
不幸な理由で捨てられてしまった動物を保護しているボランティア団体にかけあったり、保健所で処分される運命にある子を救ってもいい。
そもそも、ペットショップで生体を販売することについて、先進各国では真剣に考えを改める必要性が議論されているのだ。
海外では認識が変わりつつある
これはご存知の方も多いはずことだろう。欧米、特にEU圏では、生体の販売に否定的な立場のペットショップは少なくない。地域によっては、生体販売に制限がかかっている場合もある。
この手のお店は、純粋にペット用品の販売のみを行っているということになるのだろう。それで経営が成り立つとは、日本に置き換えた場合はなかなか想像しにくい気もする。
もちろん、EU圏すべてのエリアで生体を販売しないというわけではないが、それでも消極的な販売姿勢を見せるケースは比較的多いということだ。
では、こういう国でペットを迎え入れたい場合はどうするのかと言えば、保護された動物を譲渡するための施設や団体を利用するのが一般的だという。あるいは保健所で新しい家族を見つけるということも、珍しくないのだとか。
生体販売を行うペットショップを経由しない場合を考えたら、日本ともさほど選択肢は変わらないということになる。
まずは命を命として扱うべき
日本のペットショップに並ぶ生体の入荷方法や陳列までの手順には、色々と問題が山積されている。
たとえば、
- ブリーダーの粗末な飼育知識
- 本来動物の繁殖をすべきではない、著しい知識不足
- 欠如したモラル
これらが繁殖業者として、動物の健康を無視した残酷な環境での繁殖を繰り返させている。
こういった連中の輩出するペットが市場に流れ、ペットショップで飼う消費者がいる限り、根絶は難しいだろう。血統や値段でペットの価値を決め付けてしまう消費者が、悲しいことに日本には大勢いる。
商品としての価値ばかり優先され、ひとつの大切な命として扱われていない状況は、決して健全でない。
考えてみて欲しい。家族を新たに迎え入れること。それが動物といっしょに暮らすということだ。お金を投じて家族になる命を招くというのは、少々不自然ではないだろうか?
品種、血統で家族を選ぶことはエゴ
かつて、ある国に事業が成功し、大金持ちになった女性がいた。
だが彼女には子がなかった。そこで彼女は、恵まれない子供を何人も養子として迎え入れた。1人は白人。1人はアジア人。1人は黒人…・・・といったように、彼女は何人もの養子を、様々な人種から選り好みをして迎え入れた。
そして、どんなに境遇的に恵まれていない子に出会っても、彼女は「ああ、この人種の子はもういるから」と、決して養子にはしなかった。その姿勢を、人々は「なんというエゴだ」と仰天して眺めるばかりだったという。
僕も同じことを思う。人種やルックスで家族にすべきかどうか悩むというのは、これは金持ちの偽善とエゴにまみれた采配に他ならない。
ペットは家族だ。
家族になる命を札束で手繰り寄せるというのは、どうにも腑に落ちない。
(文/松本ミゾレ)