なんでもいいからクリエイターになって、価値のあるものを創造してお金を稼ぎたいと思っている人は、そんなに少なくないはずだ。
しかし、技能こそあれど、これだけを頼りに今の仕事を放り出せる覚悟を持つには、少々歳をとり過ぎたと感じている読者もいることだろう。
何かをスタートさせるのに、遅過ぎるということはないとは言うが、流石に30、40になって脱サラしてクリエイターを目指すというのは、なかなか出来るものではない。
ただ、チャレンジしなければ夢は漠然と大きくなるばかりだし、夢が大きくなればなるほど、重く人生に圧し掛かるようにもなる。
こうなりたくないのであれば、不退転の覚悟をもって臨むというのも、また男の人生という感じで悪くないかもしれない。
そこで今回は、30代以降に脱サラをしてクリエイターになった人々の話をしていきたい。
40代で彫刻家になった男性、きっかけはSNS
最初に、稀有なケースから紹介したい。
Dさんは長く工員をやっていた男性で、手先は抜群に器用だったことから、職場でも重宝されていた。
このDさん、趣味の一環として、石を切り出して彫刻を作っていたという。
あるときその作品を、なんとなくFacebookにアップしたところ、瞬く間に拡散し、「ひょっとすると、これが俺の新しい仕事になるのでは?」と思ったそうだ。
散々職場からは考え直すように懇願されたものの、そこは覚悟を決めてDさんは退職を決意。
アトリエは自宅のガレージを改修し、かかった費用は1,200,000円。
とんだ初期設備であるが、これも必要経費と割り切ったそうだ。
近所からは「宝くじでも当たったのか?」と、突然の人生の方向転換に対して戸惑いの視線を向けられたというが、ともかくこれで、日がな作品作りに没頭することとなったDさん。
最初こそお金になる作品を作ることは難しかったそうだが、今では個展を開くまでの余裕は出来たという。
年収はまだまだ5,000,000円程度だというが、そこまで行けば大したものだろう。
元ソシャゲカードのイラストレーターが一念発起
Bさんは30代前半のイラストレーター。
元々絵を描くことが得意だったが、ここ数年は、もっぱらソーシャルゲームのカード図柄ばかり描いていたという。
24歳の頃に脱サラをしたBさんは、自分でサイトを立ち上げて、幅広く依頼を募っていた。
そのうちに、あるソーシャルゲームメーカーから「うちが継続的に発注します」と声がかかる。
しかし、Bさんがほぼ専属のような立場で納品していたこのソーシャルゲームメーカーは、何かにつけてギャラを値切るような悪質な会社だったそうだ。
ネットで評判を見ると、いわゆるブラック。
社員たちも相当酷使されているような有様であった。
「ああ、関係持っちゃいけない会社だったかぁ」と思ったけど、後の祭り。
気づけば寝る間も惜しんで、この会社からの要求に応えては修正依頼を突きつけられる日々だった。
いい加減に頭にきたBさんは、ある時とうとう弁護士を雇い、これまでの不払いについての裁判を起こした。
この裁判では勝訴となり、Bさんはこれを機に完全にフリーのイラストレーターとして活動することを決めた。
元々腕も良いので、すぐに依頼が舞い込んだ。
ギャラも適正な価格で取引が出来ることとなり、収入も上向いたそうだ。
独立のチャンスは、スキルさえあればいつでもある!
サラリーマンとして生活をしていれば、少なくとも生活を維持することはできる。
だから、どんなにクリエイティブな才能があっても、それを全く生かせない職場環境にも甘んじているという人はいる。
ただし、せっかくの才能をくすぶらせたままに人生を終えるというのはつまらないものだ。
その手に技能を有しているのであれば、いつだって一本立ちのチャンスがあるということだ。
時には脱サラしたはいいけど、上手くコネが作られなかったり、誰にも注目されずにえらい目に遭うということもあるだろう。
しかし、どんな仕事であっても、続けていればいつかは好機が訪れる。
この好機をしっかりと掴む洞察力さえあれば、案外どうとでもなる。
人は追い詰められて、初めて生きるための力を発揮する。
(文/松本ミゾレ)