最近、ミニマリストという生き方が、にわかに話題になっている。ミニマリストとは、身の回りに必要最低限の家具しか置かずに生活する、シンプルな人生を楽しむ人々のことである。
別の媒体になるが、以前こういう生き方をしている人たちのことを記事にしたことがあった。
しかしながら、こういった人々はシンプルな生活をする際に、結果的にこれまでの生き方を否定するために、本来捨てなくていいようなものを捨てていることが多い。
家財道具や、まだまだ使えるはずだった車。こういったものを、ミニマリストになるために一念発起して手放す。僕は率直に言うと、このような行為が理解できない。
ミニマリストが増えれば消費はどうなる?
俯瞰でものを考えれば、そもそも捨てるほど家財道具にまみれて生活していたということは、ある程度生活にも余裕があったはず。
そういう人たちが物を手放し、新たに家具を購入することもないまま消費も抑えることになれば、金持ちがお金を落とさないということになってしまう。
言っておくが、ミニマリストなんて生き方をしようと思えるのは、それ自体がかなり贅沢な思考であって、貧乏人は意図せずとも、身の回りに必要最低限の物しかない生活を強いられている。
ただでさえ日本では、経済的には日々苦境を強いられている人が多いのに、多少これまでの人生に余裕を持っていた人までが消費を抑える生き方をすれば、いつまで冷え込む日本の不景気を応援することとなる。
メディアでは新しい生き方としてピックアップすることもあるけど、物のない部屋の中で息をするというのは、決して幸福なことではないと個人的には考えている。
やってることそのものが無駄では?
極論になってしまうが、僕はミニマリストのことを「元々自分が欲しいと思って買ったものを、ミニマリストに憧れて捨ててしまう人々」だと考えている。
だってそうだろう。いつだって受動的な人はいるものだ。同時多発的に「ミニマリストの生き方」について開眼し、実践している人が自然発生したわけじゃない。
メディアがミニマリストの生き方を紹介したから「じゃあ自分も」と思い立った二次的ミニマリストばかりなはずだ。現にそういう人が身近にいる。
そもそも知らなければ物を無駄にして捨てることもなかったのに、もったいないケースだと思う。
大体にして、物を捨てるったって、それは元々自分が欲しいと思って買ったもの。それを自分で捨てているだけの話で、やってることにこの無駄な行為以上の意味合いが感じられない。
家電がない、椅子がない、子供部屋にはおもちゃもない。殺風景なただの部屋で生活をするというのは、味気ない。
そのくせ、ミニマリストの中にはブログをやっている人も多い。パソコンやらスマホこそ、20年前までほとんど普及していなかった、彼らにとっては真っ先に斬り捨てやすいツールだというのに。
これらを手放せば毎月の不要な通信料金も抑えられるのに、おかしな話である。
ミニマリストはブームが過ぎ去っても意思は変わらないの?
物事が流行するには、いつだって仕掛け人の働きがある。ブームに乗せられて流行っては廃れる。こういう繰り返しの必然がある。
今、この日本に暮らすミニマリストの、果たして何割が、5年後、10年後も物を持たない暮らしを継続しているだろうか。
自分が欲しいと思って買ったものをブームに任せて捨てたって、いずれ買い戻すハメになると思うんだけどなあ。
(文/松本ミゾレ)