僕たち人間に代わって、コンピュータが労働を行ってくれるという世界は、もう何十年も前からSFの世界で描かれてきた。
この手の空想に登場する優秀なコンピュータは、人間と同じような情操を持ち、人間世界に十分溶け込んだ、まさに最高のパートナーという描かれ方をされるもの。
そして一方で、いつの間にか人間の活躍の場を奪い、コンピュータが覇権を握るようになったという描写の2つに別れがちだ。ながらく空想の世界のできごとだと思われていたコンピュータの労働への具体的な介入。現在では、それもおとぎ話とは言えない時期に差し掛かりつつある。
人工知能が雇用を奪う?
2007年にGoogleのCEOラリー・ペイジが、こんな言葉を用いている。
「Googleでは人工知能の開発を推進している」
その言葉の通り、現在僕らが使っている様々な端末で、Googleのツールやコンテンツは役立っている。求めている情報について、端的な入力から幾つも候補を提示してくれる。
まるで自分の脳や情操を司る器官が、インターネットの世界にまで拡充されたかのような気分に陥ることがある。それほどに便利になっている。
ただし、便利なだけで、コンピュータに頼りきっていいのかどうか。その判断が僕にはつかない。人工知能によって、雇用の危機が訪れるという見方がある。
先日知ったばかりの受け売りの話で恐縮だが、アメリカでは現在、タクシードライバーのサービスを、人工知能が脅かしているという。なんでも、スマホのアプリケーションソフトを用いて、一般のドライバーが乗客を運ぶという、これまでなかったサービスが誕生したというのだ。
当然この動きに対して、タクシードライバーらは抗議デモを行っている。雇用を、コンピュータに奪われまいと必死なのだ。同じような懸念は、他の業種にも当てはまるようだ。
今年1月に世界経済フォーラムが発表した報告書によると、人工知能は近い将来、労働環境を激変させる可能性があると指摘している。今後5年のうちに、人工知能は次々に台頭し、世界中で500万人の失業者を出すと試算されているのだ。
娯楽、文学に忍び寄る完璧な思考
僕が大好きな特撮作品「ウルトラセブン」。この作品の終盤に「第四惑星の悪夢」と呼ばれるシナリオがある。地球から遠く離れた第四惑星。そこは地球とよく似た環境であり、文化も科学技術も発展している。
しかし、第四惑星の労働を支えているのは、たった20万体の、人間に良く似たロボットであった。彼らは2000年も前に労働力のサポートの目的で、第四惑星人に生み出された、人工知能を搭載したロボット。
ロボットを生み出した第四惑星人は労働をする意欲をなくし、すっかり怠け者になってしまう。あるときロボットは叛乱を起こし、とうとうこの星の覇権はロボットに取って代わられてしまった。
ロボットたちは独自に人工知能を進化させ続け、劇中ではドラマを楽しんだり、コーヒーを飲むなど、名実共に完璧な第四惑星人を称していた。もう50年近く前の作品ながら、僕はこの「第四惑星の悪夢」が怖くて怖くて仕方がない。
折も折、韓国の最高峰棋士と人工知能が囲碁で勝負を行い、人工知能の圧勝に終わったニュースが世間を騒がせた。娯楽の世界に、既にコンピュータが参加者としての立場から成り立つ土壌が完成しているということになる。
また、国内でも、人工知能に小説を書かせる試みが行われている。まだまだ発展途上ではあるものの、これもやがて違和感のない文章を、機械が勝手に生み出すようになるのだろう。
人類は、近い将来労働から解放される
人工知能の発展は著しい。人は有史以来、自分たちが生み出した便利な技術は決して手放してこなかった。そして今、人類は自分たちの労働すら、コンピュータに委ねようとしている。
労働を機械に任せることで、浮くコストはあるだろう。労働者の概念も様変わりし、日給換算で10,000円を稼ぐために、汗水たらして働く必要もなくなり、自分の代わりに機械が報酬を得てくれるようになるかもしれない。
僕のような物書きも、そのうちお役御免となる日が訪れる可能性がある。会社の経営も、税理士の役割も、市役所の業務も、子供の出産も、高齢者の介護も、法律に基づく処置だって、何もかも人工知能が万事上手くやってくれる時代が、きっとやってくるのだろう。
そのとき私たちは、何をして生きればいいのだろうか。「第四惑星」の先住民は、コンピュータの計算によると、全く生産性をなくし、向こう500年のうちに絶滅すると予言されていた。
人員を割かずにコンピュータが仕事を肩代わりしてくれるのはユートピア的発想だが、実際そのために仕事を失った人間がいたのではディストピアでしかない。
(文/松本ミゾレ)