他愛もない話だけど、僕は子供の頃、どうしても人間国宝になりたかった。
まず人間国宝という言葉がとてもかっこいいと思っていたし、その上国から補助金が出るということで、貧乏生活をしていたうちの家族を、そのお金で幸せにしてやろうと思っていたのだ。
そんな当時の記憶がなんとなく甦ったので、今回はちょっと人間国宝について書いてみたい。
人間国宝とはなんぞや?
そもそも、人間国宝の定義は非常に厳格である。文化財保護法という法律の中にある、文部科学大臣が指定した、重要無形文化財の保持者。これが人間国宝に定義される資格を有する人物ということになる。
特に日本の古くからの技能を伝承している人物は、人間国宝として認定されやすい。能楽や陶芸などの道を究めた人物が、しばしば人間国宝に認定されることがニュースとなるが、これ以外の分野ではほとんど前例が無い。
1954年から現在までに、のべ180名が人間国宝と認定されてきた。
特別助成金はたった200万円!?
前述のように、人間国宝に認定されると、国から助成金が交付されることとなっている。栄えある人間国宝、その支給額やいかばかりかと思えば、たった200万円。これは率直に、かなり少ないように思えてならない。
名目上、この助成金は重要無形文化財の保護のためとある。重要無形文化財を保持しているのが、他ならぬ人間国宝。もっと多く渡して厚遇し、技能伝承のための肥やしにしてもらえばいいのに……。
たった200万円では、後進の育成をしようにも、結局足りないだろうからポケットマネーから費用を捻出することになるだろう。一応、伝承者養成事業については、その経費を一部国が負担しているということだけど、それでも一部である。
日本は芸能を極めた人々を厚遇しない
私見だが、日本は伝統的な芸能文化を今に伝える人々を、あまり厚遇しないような気がする。昔から研究が盛んな江戸の町人文化を、本当に誠実に伝えている人を差し置いて、ありもしなかった仕草文化を伝える、まがいものの研究者をメディアに出したり。
テレビ文化の黎明期から活躍した大物文化人が亡くなった際には、新聞やテレビで申し訳程度に紹介する一方で、下らないゴシップはいつまでも一面扱い。
その道では知らない者がいないという傑物が、晩年はあばら屋のような家で寂しく暮らしていた、なんて話も、結局その人が亡くなってから知ってしまうことも多い。
こういう話を聞くたびに、気が滅入ってしまう。そもそも、現在にまで伝わる文化、技能の伝承を果たした人々を冷遇してしまうと、その風潮に、新しい文化の担い手も萎縮する可能性もあり、結局文化が熟成されない事態が起こりうる。
それは不幸なことだ。
素晴らしい技能を有する人物、文化の発展に尽力してきた人物には、相応の待遇をする国でなければ、日本は本当にこの先何も生み出せない国になる。
亡くなってからいくら持ち上げたってダメなのだ。
(文/松本ミゾレ)