12月1日に発表となる「2017年ユーキャン新語・流行語大賞」!!
「○○ファースト」、「ちーがーうーだーろー」、「忖度」など政界をにぎわせた(騒がせた)言葉や、「空前絶後の」や「35億」というようにお笑い芸人のネタに含まれていた言葉など毎年恒例のジャンルからの候補や、今年を象徴するような候補がノミネートされています。
昨年の大賞受賞語は、広島東洋カープの緒方監督、鈴木選手が受賞となった「神ってる」でした。
皆さんは今年大賞受賞する言葉はなんだと思いますか?
今年を象徴する、日本をにぎわせた出来事を考えてみるとアレを思い出すのではないでしょうか?
そうです。日本人初の100m9秒代。
桐生祥秀選手がたたき出した9.98も流行語大賞にノミネートされています。
HOW MACH編集部ではひそかに「9.98(10秒の壁)」が大賞を取るのではと予想しています。
今回の記事では、桐生選手の感動の9.98までの軌跡を振り返っていきます。
10.00秒の壁
これまで長きにわたって陸上短距離界の夢であったのが10秒の壁を破るということでした。
10秒の壁がここまで厚いと言われたのはどういった理由だったんでしょう。
これまでの日本記録は、1998年に伊藤浩司選手がマークした10.00(+1.9)でした。
そこから、日本の短距離界は急成長し、4×100mリレーでは2008年の北京オリンピックで銅メダル、リオデジャネイロオリンピックではなんと銀メダルを取るなど輝かしい実績を残してきました。
個人では、北京オリンピックのリレーメンバーである朝原宣治選手や末續慎吾選手などが9秒代に極めて近いタイムを出し、その後も、数多くのスター選手が次々と10秒0代をたたき出してきました。
特に2015年から桐生選手や山縣選手を中心に選手の層が一段と厚くなり、今年は6人もの選手が、10秒0代を打ち出していました。
選手層が厚くなり誰が10秒を切ってもおかしくないといわれていた陸上短距離戦国時代でしたがなかなか9秒代を出す選手は現れませんでした。
長きにわたり陸上ファンはこの10秒代の壁を破る選手が現れるのが待ち遠しかったはずです。
選手も早く9秒代が出したくてもがき苦しみました。
中々でない9秒代、本当に出なかった9秒代。伊藤浩司選手が10秒00の日本記録(当時)を出した1998年12月13日から桐生選手が9.98の日本記録を出した2017年9月9日までなんと6,845日もかかったのです。
一流の短距離選手達がたった0.02秒を縮めるために、6,845日もの間走り続けたなんて感動的です。
いかに10秒の壁が厚かったのかを思い知らされるところです。
日本人初の9秒代
誰しもが待ち望んだ日本人初の9秒代は、2017年9月9日、福井運動公園陸上競技場で行われた「第86回日本学生陸上競技対校選手権大会(全日本インカレ)」の男子100m決勝(追い風1.8m)でした。
桐生選手の2つ左のレーンには8月にロンドンで行われた世界陸上の4×100mで銅メダリストとなった多田修平選手がいて、9秒代が出るのではと会場のボルテージが上がっていました。
この大会は、大学陸上の全国大会で、4年生にとって長距離選手以外は大学の代表として戦う最後の大会です。桐生選手にとっても東洋大学のユニフォームを着て100mを走るのは最後のようでした。
桐生選手は6月に行われた世界選手権代表選考のレースで、サニーブラウン選手や多田選手、ケンブリッジ選手に敗れ代表を逃していました。
その悔しさから、しばらくは練習に出れなかったと話していました。また、世界選手権が終わってからも体調は万全ではなく、このレースも出場するかどうかをコーチと最後まで話し合ったということでした。
桐生選手が「スタートを捨てた」と話しているように、レースでは体に大きな負荷がかかるスタートを捨てたことにより中盤から後半に爆発的な速さを発揮したことがこの大記録につながったのでしょう。
ゴールをすると電光掲示板に映し出されたタイムは9.99でした。大きな歓声とともに、正式タイムが10.00にならないように会場中が願いました。
だいぶ長い時間を要し発表された正式タイムが9.98!日本人史上初の9秒代の誕生でした。
世界で初めての9秒代が出された1968年から約半世紀、日本人が待ち望んでいた9秒代に日本中が感動しました。
10.01→9.98へ
桐生選手の名前が全国的に知れ渡ったのは、「2013年、織田幹雄記念国際陸上競技大会(当時高校3年生)」当時日本歴代2位となる10.01を出した時からでしょう。
高校生が9秒代に限りなく近いタイムをだし、日本だけでなく世界中が注目するようになりました。
当時17歳だった桐生選手ですが、あのウサイン・ボルト選手が17歳のときに出したタイムよりも早く、いつ9秒代を出してもおかしくないという声が広がっていきました。
メディアも桐生選手にくぎ付けで、スポーツファンの注目の的となるスーパースター選手へと上り詰めました。
しかし、その声が多きすぎるあまり桐生選手にかかるプレッシャーも計り知れないものとなっていたでしょう。また、当時からライバルであった山縣選手だけでなく、サニーブラウン選手や多田選手、ケンブリッチ選手など強力なライバルが数多く出現し、更に重圧が加わったことでしょう。
陸上ファンは、10.01をたたき出したスーパースター桐生だけではなく、負けて号泣したり、悔しさをあらわにするインタビューなど人間桐生の姿を4年間見てきたと思います。
爆発的に早い!いつでも9秒代は出る!そのことはみんな分かっていました。本人がいちばんわかっていたのかもしれません。
出るのに出ない状況が4年間も続いた本人の心理状態を図ることはできないでしょう。
熱心な陸上ファンである私は、毎回、このレースで9秒代が出ると思ってみていたので、本人が感じていたのと同じようにこの4年間は長く感じていました。
そして9秒代を出した瞬間、日本人初の9秒代という肩書は誰にも変えることのできない、確固たるものになりました。
日本中が感動した歴史的な輝かしい記録。陸上界、スポーツ界にとどまらず、日本人の忘れられない思い出になったのではないでしょうか?
2017年の象徴は!?
上記がHOW MATCH編集部が思う2017年の最も印象的な出来事です。
読者のみなさんは、どのようなことが印象に残る年だったでしょうか?
それにしても生きているといろいろなことがありますね?
この世の中で生きていると、明るいことも、暗いことも、易しいことも、厳しいことも沢山あります。
世の中の笑いの中心になるようなギャグも、悲しみや怒りの中心になる犯罪も、全部一人の人間が作り出します。
世の中を作っているのは、この世に生きているすべての人間だということがわかりますね。
そうした世の中の集合体に住んでいる人間であることを考えると、2017年の映り方、考え方も変わってくるような気がします。
終わりに
桐生選手の大記録は日本人にとってとても誇らしく感動的でした。
そしてこの選手層の厚さから、来年以降の陸上短距離選手の活躍がとても期待できます。
9秒代が次々と出てくると桐生選手は答えています。近いうちに9秒代の選手が複数あらわれ、日本の短距離が更に発展していくことでしょう。
2017年が日本人の9秒代ラッシュのスタートの年になることを期待したいです。