【この記事の目次】
高収入のスポーツといえば?
アメリカの経済誌『フォーブス』が毎年発表している、スポーツ選手長者番付というものがある。これを見ると、上位を占めているスポーツには、ボクシング、サッカー、テニス、バスケットボール、ゴルフなど、いかにもアメリカのスポーツ選手が稼ぎそうなものが見られて面白い。ちなみに野球選手は19位まで登場していない(2015年版)。
日本人であれば、野球の田中将大やテニスの錦織圭、ゴルフの石川遼などが稼いでいるスポーツ選手の最たる例だろう。しかし、スポーツ選手は野球やテニスやゴルフばかりではない。
ボートレースの獲得賞金1位の金額は?
日本のプロ野球の人数は育成選手も含めて1,000人程度であるのに対し、ボートレーサーは1,600人以上もいるのをご存知だろうか?
さらにその1,600人の中で、1年間の獲得賞金1位になっている選手の獲得金額は2億円を超えているのだ。
そんなボートレーサーになるための道のりは厳しい。まず、40倍という倍率をクリアして、専門の養成学校に入校する必要がある。しかもそれで終わりではなく、1年間の過酷な訓練を受け、その上で国家試験を受けて合格した者だけがなることができる狭き門なのだ。プロ野球選手のようにドラフト制で球団と選手が交渉することでプロになるという世界とはまったく異なる、ストイックな世界である。
今日はボートレーサーという、普段のHOW MATCHとはあまり馴染みのない世界で戦い続けるひとりの選手ついて触れてみようと思う。
1年4ヵ月の会社員を経て、ボートレーサーへ
加藤政彦選手(32歳)――大学を卒業後、大手メーカーに就職。学生時代にテレビで見たボートレーサーのドキュメンタリーに惹かれ、それが忘れられずに会社員になった約1年後に退職し、ボートレーサーになることを決意した。
厳しい訓練を乗り越え、晴れてボートレーサーとなった加藤選手は2015年度の獲得賞金が1200万円を超えるという成績を残した。
と、こうやって文章にすれば、会社員が脱サラしてボートレーサーになりました、という華々しいストーリーにも聞こえるが、そこまでの道のりは並大抵のものではなかったようだ。
「大学は工学部で機械情報工学を学んでいました」
――今回は「会社員から他の職業に転身した」というテーマでお話をお伺いしたいと思いますのでよろしくお願いします。大学では工学部だったとのことですが?
加藤政彦選手(以下、加藤) : そうです。大学に入る前から物理や数学が好きだったのもあり、工学部で機械情報工学を学んでいました。
――そこから某大手メーカーに就職したのですよね?
加藤 : はい。腕時計のメーカーで歯車の一部のデザインや製図をしたり、設計をしたりする仕事をしていました。
――なかなか難しそうなお仕事ですね?
加藤 : 難しかったですね。周りの先輩に教えてもらいながら、なんとか乗り切っていました。
「年齢制限が上がったチャンスは逃せない」
――そこで1年と4ヵ月働いたのち、ボートレーサーになる決意をするわけですが、きっかけは何だったのでしょう?
加藤 : もともと社会人になる前に、ボートレーサーになる試験に一度挑戦していたんです。そのときは最終試験まで行ったのですがダメでした。それで就職して会社員として働いていたのですが、ある日ボートレーサーになるための年齢制限が21歳未満から30歳に引き上げられたことを知ったのです。これはチャンスだと思いました。
――このチャンスを逃すわけにはいかないと?
加藤 : はい。会社員になって1年とちょっとしか経っていませんでしたが、これが最後のチャンスと見て再びトライすることを決めました。
――上司にそのことを伝えてどうでした?止められたりしませんでしたか?
加藤 : いえ。当時私の勤めていた会社はとても良い雰囲気でしたから、私がそのことを告げたときも「がんばって」と言ってくれました。
――でも会社辞めてまでトライするからには、中途半端なことできませんよね?どうでしたか?
加藤 : 半年間、みっちりトレーニングしました。試験は握力、背筋力、動体視力、柔軟性といった体力試験のあとに3泊4日で実際のボートに乗った試験もあるんですよ。
――ボートレーサーになる前からボートに乗るんですか?
加藤 : そうです。ペアボートといって、試験官が横に乗ってくれるそれ用のボートがあってそれに乗ります。
――筆記試験もありましたか?
加藤 : ありました。高校入学程度の学力を試す筆記試験がありますので、準備しましたよ。
――合格率40倍以上の試験を乗り越えて、今度は無事合格できたのですよね?
加藤 : 合格すると分厚い封筒が送られてくるのですぐ分かりました(笑)。
――辞めた会社の人には報告しましたか?
加藤 : しました。かつての上司もおめでとうと言ってくれました。今でも当時の同僚とはたまに会ったりしています。
「6時起床、3分後には乾布摩擦」
――そうしてボートレーサー養成学校(やまと学校)に入校したのですよね?ここでの訓練は過酷とのことですが、実際何が一番大変でしたか?
加藤 : まず坊主頭にさせられたのが嫌でしたね(笑)。一番きつかったのは、季節問わずに朝6時に起床して、そのきっちり3分後には外で乾布摩擦をしなくちゃいけなかったことでした。時間は厳守なので、6時ピッタリに目覚めるとちょっと遅れてしまいます。だから自分の場合は少しだけ早く起きて準備を始めていました。
――特に真冬の朝6時はきついですよね。ボートの訓練についてはどうでしたか?
加藤 : 当時の教官が厳しい人で、当然いろいろと指導もありました。また、ミスして転覆してしまったときには「罰直(ばっちょく)」と言って、ボートの訓練から一時的に下ろされてしまうんです。
――罰直中は何をするんですか?
加藤 : それこそ草むしりとか、走り込みとか。自分ひとりだけじゃなく、仲間も一緒に罰直を受けましたが、ボートの訓練に参加できなかったのは何よりきつかったです。
――訓練以外の生活はどうでしたか?
加藤 : 先ほども言ったように6時に起きて、訓練が終わってからのテレビも、夜の7時から9時までと決められていました。就寝は夜10時です。部屋は6人の相部屋でした。
また、携帯電話も取り上げられますから、電話したいときは学校内の公衆電話を使うしかないんですよ。みんな、電話の前に列を作っていました。
「フライング休みで収入が途絶える厳しさ」
――厳しい学校生活を1年間経て、念願のボートレーサーになれたのですよね?デビュー戦ではどんな気持ちでしたか?
加藤 : ボートレーサーになれた喜びと、不安とで入り混じっていましたね。ボートレーサーになることがゴールではなくて、ここから改めてスタートするんだなということを強く感じました。
――2010年からボートレーサーとなって、昨年はサラリーマンからすれば羨ましいくらいの獲得賞金を得ました(手元の資料によると2015年の獲得賞金は1200万円ほど)。2016年のこれからはどうして行きたいですか?
加藤 : 2016年はフライング休み(※)によってレースに出れない期間がありまして、収入も途絶え、クラスも一番下のB2クラスまで下がってしまいました。
(※フライング休み……スタート時にフライングをすると1ヵ月ほどレースに出場できなくなる決まりがある)
――プロとして厳しい試練の時期ですが、どうやって乗り越えて行きたいですか?
加藤 : メンタル面を鍛えなくてはならないことを強く感じています。自分の場合、大事なレースとなると、どうしても気負いしてしまうところがあって、良い結果が出せなかったんですね。本を読んだりとか、メンタルトレーナーを付けたりしています。
ボートレーサーの師匠に芦澤望さんという人がいるのですが、彼からも多くのことを学んでいます。デビュー戦で勝てたのも芦澤さんの力あってこそだと思っています。
――体力面はどうでしょうか?
加藤 : 主に体幹トレーニングですね。サッカーの長友佑都選手と同じコーチについてもらっています。ボートレーサーに必要なのは、筋力よりも「一瞬の持久力」なんです。それに体重制限もありますから、そういった体重管理もしなくてはいけない難しさがあります。
「ボートレーサーになることを反対しなかった母」
――ここまで来るのにかつての会社の人たちなど多くの支えがあったと思いますがどうでしょうか?
加藤 : 特に母の支えには本当に感謝しています。私は片親だったのですが、ボートレーサーになりたいと母に伝えたときは一度も反対されませんでした。なので親孝行がしたくて、レーサーになってから一度温泉旅行に連れて行ったことがあります(笑)。
「プロになってから苦しむ才能の差」
――最後に、このインタビューを読んでボートレーサーという世界に興味を持った人に対して何か言ってあげたいことはありますか?
加藤 : 学校での訓練期間も大変でしたが、実際は今が一番大変であることを痛感しています。プロになると本当の意味で他者との「才能の差」を感じざるを得ない場面に何度も遭遇します。
非常に厳しい世界ですが、やってみないと分からないことはいっぱいあります。私も、会社員を辞めてこの世界にチャレンジしたことは後悔していませんし、何よりやりたいことがやれている、ということが恵まれていると思います。
――これからの活躍に期待しております!今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。■
目標を見定め、突き進むことの大切さ
取材して発見だったのは、加藤選手の場合、会社員になってからボートレーサーという道に出会ったのではなく、そうなる前からすでにボートレーサーの道を歩み始めていた点である。
一流のアスリートは、たいてい幼少期からそのスポーツに没頭し、練習に練習を重ねて結果を出している。イチローだって吉田沙保里だってそうだろう。
ボートレーサーはその点、ちょっと違う世界なのかもしれないが、だからこそ各選手が自分で考え、悩み、トレーニングして、結果を出さなくてはならない厳しさがあるのではなかろうか。
その意味で言えば、私たち会社員も敷かれたレールの上を走るだけでなく、自分で考え、悩み続けることこそが道を拓く方法なのかもしれない。
(取材協力/一般財団法人 BOATRACE振興会 インタビュー・文/HOW MATCH編集部)